時は1986年、岡山県津山市の神が宿る岩山に地面が揺れる程の落雷が落ちて、大きな岩が割れて岩の中から「最近の若い奴は!」と早口で雑叫びを上げて誕生。
旅の僧侶に拾われて育てられ、毎日の厳しい修行に耐えて「この子は将来アメリカでプロレスラーになる」と村の誰もが期待するまでになり、16歳でシンガーとして歌い始める。後にグレートムタの試合を見てDeejayになり今の自由なスタイルになる。
19歳の時に、育った村が干ばつに襲われ農作物が育たなくなり、水不足を解消する為に村のみんなから託された、なけなしのお金とポリタンクを持ち東京に向かう。
20代半ばでCIAに命を狙われながら数々のコンペティションに参加してMIGHTY CROWNが主催するROAD TO
レゲエ歳に優勝し、横浜スタジアムでCIAのスナイパーのレーザーポインターを避けながらライブパフォーマンスを行う。
突然夜中に宇宙人にキャトルミューティレーションされて、UFOの中で目が覚めたらもう1人地球人がいて、共に手を組み命懸けでUFOから脱出。後に地球人がDIGITAL NINJA 774だったと判明し、あの時の出来事を曲にした【M.U.S.1.C】が完成。その後、数枚のアルバムをリリース。
悪徳政治家の裏金問題をすべて暴く為にCHOP STICKそしてタナケンとJTCを結成。
メキシコのルチャ修行から帰ってきた紅桜と共に、「1人なら無理だけど、2人ならあの頃のアンドレをブレインバスターで投げれる」を合言葉にTHEタイマンチーズを結成。
ある日、国道で子犬がトラックに轢かれそうになり、子犬を助ける為に命を投げ出して飛び出して来た5人でJREXXXバンドを結成。
子犬を助ける姿をたまたま見ていた10-FEETに京都大作戦に誘われて、初出演して投票でベストパフォーマンスバンドに選ばれる奇跡が起こる。
アルカトラズから泳いで脱走して来たDEBIと「俺が死んだら骨はラーメンの出汁にしてくれ」が口癖のYASS
from Power PlayerzがバックDJを務め、手段を選ばない破壊的なライブパフォーマンスが好評になり年間約100本近いライブを何年も繰り返している。
宇宙人にキャトルミューティレーションされてから音楽ジャンルを選ばず、様々なアーティストからfeat以来が来る。リリース量は毎年豊富でミュージック・ビデオは100本以上の作品に出演。総再生は五千万以上。ステージもビールケースの上から大きなフェスの全てを盛り上げて来たモンスター。
コロナ禍の中では仲間の協力を経て配ライブを行い、毎回全力でライブをする様にファンが徐々に増え、小さな子供も増えて来たので「タマ〇ンって言うのやめようかな?」と思った事もあったが、熱闘甲子園をテレビで見て涙が止まらなくなり、タマ◎キンって言い続ける事を心に違う。
ある日、国道でバイクに轢かれそうになった子猫を助ける為に命を投げ出して飛び出して来たジャパニーズマゲニーズの2人と、昔のアメリカのアダルトビデオには必ずBGMが流れていた話で意気投合し「最後の一本」が完成し、爆発的ヒット。
KANGOLとコラボしたハンチング【J-GALAXXXY】を発売。モヒカンでPUNKやサブカル、オールドスクールのRAGGAなどスタイリッシュなファッションを好み、時々外国人観光客やキャビンアテンダントから外国語で話しかけられるが純日本人。
キャリアは20年を超えて未だにプロレスラーになる為と日本のREGGAE・DANCE HALLを高い所まで盛り上げる為に、年々薄くなって行く頭皮と日々奮闘している。